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岡山地方裁判所 昭和42年(わ)262号 判決 1969年8月01日

被告人 川崎宣行 外二名

主文

被告人川崎宣行を懲役三年六月に、同多田勇を懲役一年に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各一五〇日をそれぞれその刑に算入する。

被告人多田勇に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人森田階、同難波章に支給した分は被告人川崎宣行の負担とし、証人池田茂男、同岡本近士、同藤木安雄に各支給した分は、被告人川崎宣行、同多田勇の連帯負担とする。

被告人多田勇が、被告人川崎宣行、同川西明尋、武内道孝、片山吾一、川西悦男と共謀のうえ、昭和四二年五月一四日午後零時過頃、森田階から金員を強取しようと企て、暴行を加えたが、金員強取の目的を遂げず、その際同人に対し傷害を負わせたという訴因については、同被告人は無罪。

被告人川西明尋は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人川崎宣行は、昭和四二年五月一三日午后一〇時三〇分頃武内道孝の運転する普通貨物自動車に川西悦男と共に同乗し、岡山県和気郡備前町東片上一、〇一〇番地の五フジヤ食堂から国道二号線へ発進しようとした際、同国道を岡山方面に向けて進行中の池田茂男(当時二六年)の運転する大型貨物自動車を認めるや、右武内道孝、川西悦男と共謀のうえ、同車を追尾し因縁をつけて修理代名下に金員を喝取しようと思い、右大型貨物車を追跡し、国鉄赤穂線片上駅前付近の同国道上で、急に右側より右大型貨物車の前部に切り込んだ、右両車の後方を被告人川西明尋、片山吾一を同乗させて普通貨物自動車を運転走行していた被告人多田勇は、右武内の自動車と大型貨物自動車とが接触したものと思い、速度を増して右両車を追い越したうえ減速して国道左端に寄つて武内の自動車と並進し「今当つたのではないか。」と尋ねたところ、川西悦男が「当つたんじや、あれを行くから、後につけ。」と言われたので、武内らが、右大型車に対し、右接触によつて損傷したことに因縁をつけ、修理代名下に金員を喝取するものと察知し、ここにおいて被告人多田勇、被告人川崎宣行は武内道孝、川西悦男と共謀を遂げ、右大型貨物自動車を追尾し、一旦は武内の自動車が右大型貨物自動車を停車させたが逃げられ、同町伊部プリンスモーテル前附近同国道上において、多田の自動車が右大型貨物自動車の前部に切り込んで停車させ、被告人川崎宣行が運転手池田茂男に対し「降りて来い。」と申し向け、武内道孝が降車しようとした右池田に対し、いきなり手拳で顔面を殴打したり脚部を足蹴りにする等の暴行を加えたうえ助手の岡本近士(当時二四年)に対し、顔面を数回殴打したり脚部を数回殴打する等の暴行を加え、更に同所から約七〇〇メートル離れた同町伊部二五〇一番地大ヶ池前空地に右両名を連行し、武内道孝においてマツチをすつて同人の運転していた普通貨物自動車の後部左側の古傷を見せて、右池田及び岡本に対し「おどりや、これをどうしてくれるんなら、弁償せえ。わしの兄貴はバンバーがこわれただけで百万円とりあげたことがあるんじゃ。」等と申し向け被告人川崎は「おどりやどうするんなら、わしらは、銭の千円、二千円が欲しゆうて言いよんじやねえぞ。」等と申し向け、被告人多田は「おい早よう話をすませえ、お前等金を持つていないんならスペアでも置いてゆけ。」等と申し向けてそれぞれ脅迫して金員を要求し、これに応じなければさらに右両名に対し危害を加えるかのような気勢を示して右両名を畏怖させ、その場で右池田から現金七〇〇円、右岡本から現金一〇〇〇円を交付させて喝取し、その際、右暴行により池田に対し加療約五日間を要する左大腿根部挫傷の傷害を、岡本に対し、加療約五日間を要する左鼻梁、頬部挫傷等の傷害を負わせ、

第二、被告人川崎宣行は、武内道孝、川西悦男と共謀のうえ、翌一四日午前零時過頃、武内の運転する普通貨物自動車が、国道二号線伊里中十字路において大阪方面から岡山方面に進路を変更しようとした際に進路の妨害となつた森田階(当時三六年)の運転する大型貨物自動車が同国道上の追越し禁止区間で、追い越したことから、同人に対し因縁をつけて修理代名下に金員を喝取しようと思い、同車を追尾したうえ同町東片上一、二一二番地の一先同国道上において、同車を停止させ、被告人川崎宣行において、右森田に対し「降りて来い、バツクミラーが曲つた」と因縁をつけて降車させようとしたところ、恐怖を感じて同国道沿の田圃の中へ逃げたため、被告人川崎、武内、川西悦男、片山は同人を追跡して捕え、ここにおいて同人の反抗を抑圧して金員を強取しようと決意し交々同人の顔面、胸部、腹部等を手拳で殴打したり足蹴りする等の暴行を加えてその反抗を抑圧したうえ金員を強取しようとしたが、同人が哀訴するうえ、犯行の発覚を恐れたため、その目的を遂げず、その際右暴行により、森田に対し、左胸部、左上腹部挫傷、左第七、八肋骨々折の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人川崎宣行、同多田勇の判示第一の各所為は、いずれも刑法六〇条、二四九条一項、二〇四条に、被告人川崎宣行の判示第二の所為は、同法六〇条、二四〇条前段に該当するが、判示第一の各所為は、いずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪としていずれも犯情の重い恐喝罪の刑で処断することとし、被告人川崎については、判示第二の所為につき所定刑中有期懲役刑を選択し、判示第一、第二の各所為は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により判示第二の強盗致傷罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、被告人多田勇については、判示第一の各所為が同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、岡本近士に対する恐喝の罪の刑に法定の加重し、なお被告人川崎宣行に対しては同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽し、それぞれその刑期の範囲内で被告人川崎宣行を懲役三年六月に、被告人多田勇を懲役一年に処し、被告人両名に対し同法二一条を適用して未決勾留日数中各一五〇日をそれぞれその刑に算入することとし、被告人多田勇に対し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、証人森田階、同難波章に各支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人川崎宣行の負担とし、証人池田茂男、同岡本近士、同藤木安雄に各支給した分は、同法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。

(当裁判所の判断)

一、本件公訴事実は

被告人ら三名は、武内道孝(当一九年)、片山吾一(当一八年)、川西悦男(当一九年)らと共謀のうえ、深夜の長距離輸送貨物自動車を襲つて金員を強奪しようと企て、

第一、昭和四二年五月一三日午後一〇時すぎ頃、被告人多田および右武内の運転する二台の普通貨物自動車に分乗して池田茂男(当二六年)の運転する大型貨物自動車を追尾し、同日午後一〇時三〇分頃、岡山県和気郡備前町伊部地内の国道二号線上において右大型貨物自動車を停車させ、同所において、同人および同自動車の助手岡本近士(当二四年)の両名を車外に引きずり降ろし、手拳で数回殴打し更に足蹴りするなどの暴行を加えた後、前記自動車に分乗させて同所から約五百米離れた同町大内地内の大ヶ池付近の広場に連行し、同所において被告人ら三名と前記武内、片山、川西悦男などが右池田および岡本の両名を取り囲み、右両名に対し「お前ら人の車に当てて逃げてすむと思つているのか」などと因縁をつけ、続いて右武内の運転していた自動車の古疵を示しながら「何を云うんなら、これを見い、これをどうしてくれるんなら、金がないと云つて人をなめくさつたらぶち殺すぞ、おいどうするんなら、一人千円ずつとして六千円出せ」と怒号するなどして脅迫し、その反抗を抑圧して、右岡本から現金千円、右池田から現金七百円を強取したがその際前記の暴行により右岡本に対し加療約五日間を要する左鼻梁・頬部挫傷等の傷害を、右池田に対しては加療約五日間を要する左大腿根部挫傷の傷害をそれぞれ負わせ、

第二、昭和四二年五月一四日午前零時過ぎころ、被告人多田および右武内の運転する二台の普通貨物自動車に分乗して森田階(当三六年)の運転する大型貨物自動車を追尾し、岡山県和気郡備前町東片上地内の国道二号線上において、右大型貨物自動車を停車させて同人を下車させ、隙をみて逃走した同人を数米追跡して掴え、同所付近において手拳で殴打しあるいは足蹴りする等の暴行を加えて金員を強取しようとしたが、同人が執拗に大声で助けを求めたり哀願したため金員強取の目的を遂げなかつたが、その際の暴行により同人に対し加療約一ヶ月を要する右第七、八肋骨々折等の傷害を負わせ、

たものである。

というのである。

二、公訴事実第一の強盗の訴因を恐喝と認定した理由

強盗罪が成立するためには、財物奪取の手段として被害者に加えられた暴行、脅迫が、その反抗を抑圧するに足るものでなければならず、反抗を抑圧する程度に至らず、被害者を畏怖させたにすぎない場合は、恐喝罪が成立するにすぎないことはいうまでもないところであり、反抗を抑圧するに足る程度の暴行、脅迫であるかは、結局、暴行、脅迫の方法、程度、被害者の男女の性別、年令、時刻、場所、その他犯行の具体的附随事情を考慮して客観的に判断しなければならない。

そこでこれを本件について検討する。

判示日時、場所において被害者池田の運転する大型貨物自動車を停車させた後、武内ら数名が共謀の上被害者両名に対し暴行を加え、更に大ヶ池前空地に連行して被告人川崎、同多田、及び武内において、それぞれ脅迫を加えたこと及び暴行は被害者両名に対しいずれも加療五日間を要する傷害を負わせるに足るもので必ずしも軽微なものとはいえないことは判示認定の通りであるけれども、右事実からは、判示暴行、脅迫が被害者両名の反抗を抑圧するに足るものであるとはにわかに断定し難いところ、前掲関係各証拠によれば、被告人川崎らが判示大型貨物自動車を停車させ、被害者両名に対し判示暴行を加えた判示プリンスモーテル付近国道二号線は、既に午後一〇時三〇分を過ぎていたとはいえ比較的交通量も多く、近くには人家もあつて、必ずしも救助の求められない所ではなかつたこと、しかも被告人川崎は、武内が助手岡本に対する暴行を続けることを制止し、被告人川西明尋は、鼻血を出して倒れていた助手の岡本にハンカチを与えて鼻血を拭くよう勧めていること、その後大ヶ池に連行し、当て逃げをしたと因縁をつけ、古傷を見せてその修理代を要求した際、被害者において、修理代は岡山の営業所に行つてくれれば払う旨を答えると、六人分の日当や岡本までのガソリン代を出せ等と嫌がらせを云い、金を出しそうもないとみるや、更に「スペアタイヤを出せ」「荷物を置いておけ。」等と要求し、その結果被害者両名は所持金を交付したものであることは判示のとおりであつて、被告人等は被害者両名の意思を全く無視する態度を示していないこと、犯行直後大ヶ池付近の食堂で飲酒した際、武内から、被害者に示した自動車の傷が古傷であつた旨を知らされた被告人多田、同川西明尋において被害者に謝罪に行つていること等の事実が認められ、判示暴行及び脅迫の態様、程度に右認定の犯行現場の状況、金員の交付を受けるに至るまでの被告人らと被害者とのやりとりの経過及び模様被告人川崎、同多田、同川西明尋の犯行当時及び直後における行動、被害者両名の性別、年令等諸般の事情を彼此検討すると、判示暴行、脅迫をもつて被害者の反抗を抑圧するに足る程度のものとは断じ難く、しかも被告人川崎同多田は捜査官に対しても、車が当つたと因縁をつけて修理代を出させる意思であつた旨の供述をしており、かかる供述内容からしても、被害者の犯行を抑圧したうえ金員を強取する意思があつたと認めるよりも、むしろ、車が接触して傷がついたと因縁をつけ、修理代名下に金員を喝取する意思であつたと認めるのが相当である。

三、公訴事実第一の訴因について被告人川西明尋の無罪理由

被告人川西明尋の当公判廷における供述及び捜査官に対する各供述調書(中略)を総合すると、被告人川西明尋は、本件第一犯行直前の午後九時頃、武内らと共に岡山県和気郡三石町所在の船阪山モーテルに赴き、しばらくした後、午後九時四〇分頃、そばを注文し、食べ始めたが、食べる気がなく弟川西悦男に食べさせたところ、突然持病のてんかん発作を起し、川西悦男と片山とに連れられて武内の運転する普通貨物自動車に寝かされ、午後一〇時頃被告人多田が同モーテルに来たので、同被告人の普通貨物自動車に移し替えられ、同車に乗せられて同モーテルを出発し判示フジヤ食堂に着くまでの間は、寝たままで意識ももうろう状態であつたが、同食堂に着いた頃には幾分頭痛は残つていたとはいえ意識は正常に回復し、爾後の武内ら及び被害者等の行動等を充分認識しうる精神状態にあつた事実、その後、同被告人はフジヤ食堂に着いた際被告人多田の車から降りず同食堂に入らなかつたほかは終始武内らと行動を共にし、武内らの判示のような恐喝及び傷害の所為は勿論、これに及ぶまでの経緯を概ね見聞し、しかも判示のように被告人川崎らが大ヶ池前空地において被害者両名に対し、「スペアを出せ」と要求した際、スペアタイヤを見にまで行つている事実が認められ、右事実からすると、被告人川崎、武内、川西悦男らの意図を察知したうえ、同人らと共同して金員を喝取する意思があつたと認められないでもない。

しかし乍ら、他方前掲関係各証拠によれば、被告人川西明尋は判示第一事実の犯行現場であるプリンスモーテル付近国道上においては勿論、大ヶ池前空地においても被害者両名に対し何らの暴行を加えていないのみならず、却つて、川西悦男が運転手の池田を殴ろうとするのを制止していること、更に鼻血を出して倒れている助手の岡本に対し、川西悦男にちり紙を取りに行かせ、同人に鼻血を拭うよう勧めていること、しかも前述のように、犯行後被害者に謝罪していること等の事実が認められるのである。

右のような被告人川西明尋の犯行時における消極的というよりむしろ否定的行動に徴すれば、武内らが共謀の上被害者に因縁をつけ判示の暴行、脅迫を用いて修理代名下に金品を要求し被害者両名から金品を喝取しその際被害者両名に傷害を負わせた事実を認識していたことは明らかであるが、武内らと共同意思の下に一体となつて、互に他人の行為を利用して自己の本件恐喝及び傷害乃至暴行を敢行する意思を実現する謀議があつたものと認めることは困難である。

四、公訴事実第二の訴因について被告人川西明尋、同多田勇の無罪理由

第五回公判調書中の被告人川崎宣行の供述部分(中略)を総合すると、被告人多田勇、同川西明尋は判示第一の犯行後、武内らと共に前記食堂魚新において飲食した際、武内から前記被害者両名に示した傷は古傷であつた旨知らされるや、被害者両名に謝罪に行つたこと、その後同所において、武内から「もう一回やらんか」と慫慂されたとき、被告人多田勇は「そんなことしよつたら警察に捕まるぜ。」と言つて反対し、ついで被告人川西明尋は、被告人多田勇の運転する普通貨物自動車に同乗して右魚新を出て、前記国道二号線上の伊部十字路に停車した際、再び武内が「もう一回やろう」と念を押すように言つたところ、被告人川西明尋、同多田勇は、「明日仕事があるから、もうやめて帰えろう」と反対したが、そのまま武内の車に続いて右国道を大阪方面に向け走行し、更に、右国道上伊里中十字路で武内の車は方向転回をして岡山方面に向つたので、被告人多田勇の車も再びこれに従つて走行して行つたところ、判示犯行現場において武内の車が、大型貨物自動車を停車させているので、被告人川崎、同多田は「どうしたんなら」と尋ねたところ、「バツクミラーが当つたんじや。」と云われたのにかかわらず、武内らに従わずそのまま車に戻り、車の中に入つていたものであることが認められる。

もつとも、被告人川西及び同多田は前示のように武内の車に続いて走行或は同行しているうえ、前記被告人川西明尋、同多田勇の検察官に対する各供述調書には、いずれも武内の車が伊里中の十字路で方向転換をして大型貨物自動車を停車させ、その車に因縁をつけて金を出させるつもりであると察知し、武内らに加勢するために武内の車に続いて行つた旨の供述記載があり、前掲各証拠によれば、前記伊部の十字路を南進すれば、同被告人らの帰途に当るのに南進することなく、武内の車に続いてそのまま大阪方面に向けて走行していること、しかも被告人多田勇は、右伊部の十字路において「同じやるなら乗用車の方がいいぜ。」等と云つていること等の事実が認められる点に徴すれば、被告人川西明尋、同多田勇も武内らと共謀の上金員を喝取乃至強取しようという意思があつたと認められるかのようである。しかし、被告人川西明尋、同多田勇は、前示のように再度の犯行には、当初から反対であつたこと、従つてそれ故に、何ら犯行の実行行為に加担することなく「バツクミラーが当つたんじや」と知らされても、車に戻つたこと等からすれば、被告人両名が武内の車に続いて行動を共にしているのは、武内らの犯行に加担する意思からではなく、友達として已む得ず行動を共にしたにすぎないとみるのがより自然であるといわなければならず、また被告人多田勇の「同じやるならば乗用車の方がよい。」との発言についても、「こんな真夜中に乗用車など通るもんか」と思つた旨供述する前記被告人川崎宣行の検察官に対する供述調書から明らかなように、殆んど乗用車が走行しない時刻であり、しかも「帰えろう。」と再度の犯行に反対している被告人多田勇の態度に徴すれば、大型貨物自動車を停車させ再び判示第一と同様の恐喝等の所為に及ぶことに反対する方法として反語的に殊更停車させること、したがつて恐喝等の所為に及ぶことの可能性の少い乗用車の方をと提案した趣旨も含められているとも解し得るのであつて、必ずしも武内らの再度の犯行に加担する意思があつての発言とのみ解すことはできないのであつて、以上認定事実に照らせば結局、被告人両名が武内らに加担し暴行を働いて金員を強奪する意思があつたものと認めるのは勿論、同様の手段で金員を喝取する意思さえあつたと認めることは困難であるといわなければならない。

五、結論

以上のとおりであつて、当裁判所は、公訴事実第一の強盗致傷の訴因については判示のとおり恐喝及び傷害と認定し、同訴因における被告人川西明尋の刑事責任及び公訴事実第二の訴因についての同被告人及び被告人多田勇の刑事責任は、いずれも共謀の点につき証明不十分であるので、それぞれ刑事訴訟法三三六条により、被告人川西、同多田に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

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